キャンプ終盤ですが、ヤクルトにとっては大きな損失となるつば九郎(を支えたスタッフ)の訃報です。
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つば九郎2000試合会見で宮本慎也サプライズ出典ヤクルト公式サイト2022/08/05
球団社長の訃報に続いての今回の訃報。
今年は何か良くないことが続き、暗い感じになってしまいます。
つば九郎。
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花火を見つめるつば九郎
ヤクルトファンに取っては試合と同様以上の存在でした。
突然あの姿が見られなくなってしまったことに戸惑いを覚えます。
ファンにこよなく愛されたキャラクターでしたから。
ゲーム中、それ以外の様々な場面で見たあの独特に作り上げられたキャラクターは唯一無二ですから。
長いキャリアのなかで徐々に作り上げられたあの雰囲気を再現することは簡単ではなく、余人に代えがたいと思っています。
一般公募で「つば九郎」の名前が誕生したのは1994年3月のことでした。
人気のない球団の、ただのマスコットとして”中の人”となった30年前。
その後ブログを書き、フリップ芸を生み出し、本気度がわからない空中くるりんぱが神宮名物となるなど、まるで”中の人”を感じさせない一体感を生み出しました。
毒舌を吐き、畜ペンと呼ばれ、時事ネタを屈指して笑いに変える。
くしくも最後となったフリップが、つい先日の春季キャンプで見たフジテレビに対する「ACへ」とは・・・
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つば九郎最後のフリップ
この大事件さえ笑いに変えてしまうバランス感覚には脱帽したものです。
チームを愛し、長きにわたって様々な選手を陰で支えました。
古田敦也捕手が入団4年目から入団し配置転換無しですから、どの職員よりも球団に携わってきた期間が長いのではと思います。
ブログでつぶやく暖かいメッセージ、球団内外の選手やスタッフへの心遣い、我が道を行く毒舌トークなど個性が光るマスコットでした。
何度も優勝を体験し、球場内もパレードでは先陣を切って選手を誘導。
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つば九郎を先頭に場内を優勝パレード 2020/09/25
まさに球団イメージの顔でした。
2000試合出場では名球会のブレザーを羽織り、
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つば九郎名球会入りでブレザーを着せてもらう
30周年ではドアラと記念のセレモニー
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ともに30周年のつば九郎とドアラ
グッズ売り上げ1位、メディアで冠番組を持つなど、活躍の場が広がり、気が付けば球界屈指のマスコットとして君臨していました。
個人的には、つば九郎は役目を終えたと・・・
他の誰かがあの着ぐるみに入っても、ファンは違和感しか感じないと思います。
大空に飛び立ち、ペンギンではなかったことを証明して消えていったのだとする方がしっくりきます。
担当の球団職員の方が、長年勤められて来たわけですが、暑さ寒さの中相当な体力が必要だったと思います。
聞くところによりますとまだ52~53歳ぐらいでしょうか。
唯一無二の存在として君臨したので、他者とシフト勤務というわけではなく、一人で背負ってきました。
着ぐるみ本体の重さは全部で20キロ以上あり、真夏の試合では酸素ボンベが必需品の重労働だったと言われています。
大きな負担がかかってしまったのかと思います。
肺高血圧症ということでしたから、症状はかなり前からあり、最後は心臓と肺が悲鳴を上げ、息苦しくて大変だったのではないかと推測されます。
2月1日からの沖縄・浦添キャンプに同行し、4日に帰京する際に空港で倒れたという話ですが、そんな体で亡くなる直前まで”中の人”になり切って頑張っていたことに、球団・ファンへの大きな愛と責任感を感じます。
ゆだんたいてきおでんたいやき
いつのひか あしあとのさきに つばくろうがいなくなったら そらをとんだとおもってください(24年3月5日、ブログにて)
これまでの球団やファンへの貢献に深く感謝するとともに、謹んでご冥福をお祈りいたします。
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